下雨的日。

台湾の雨が恋しい私の身の回りで起きていること。

アイドルっていいんですよね――救世主アンバーの登場と椅子からの解放

毎日文献の整理やらレジュメ作成やらに追われています。しんどいですが楽しいです。イェソンさんがなんかのオーディション?サバイバル番組でチャンスをつかむためにすべて捨てて命かけて練習したみたいなことを言ってたのを思い出し、アイドルじゃなくても何かに必死になるって共通してこういうことだよなあという人間の真理みたいなものを感じ、寝ることを諦めました。アイドルってほんといいですね。どうせ外見だけの偶像崇拝なんだろって思うでしょ。中身まで尊敬させてくる人がたまにいるんですよね。一般人にとってもロールモデルとして据えたくなるような本物のアイドルがね…という導入でお気づきかと思いますが今日はアンバーというアイドルを通して椅子の使い方を改めて考えてみようという回です。

ここでいうところの椅子は、この世にたった二種類しか存在せず、必ずどちらかに座れなければいけないという、「(社会的な)男」、「(社会的な)女」という名前を持った椅子のことを言います。

社会で男、女にそれぞれ与えている役割を椅子に例えて、性別に違和感を持っている人の気持ちを分かりやすく漫画にしてみたという記事がBuzzFeedに上がっていたので、それを読んでちょっと考えた話。

https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/trans-x-gender-manga?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharecopy

 

この記事を読んで、座り心地が悪いのか知らないけど、昔から椅子が合わなくて、でも別の椅子に移動するほどケツが痛いとかでもない、だからといって座ってるふりするのも癪だった昔の自分を思い出しました。そこまで自分がどっちに帰属するのかわからなくて悩むほどではなかったんですが、必ずどちらかの椅子に座れと言われることにもやもやした違和感を持っていました。昔の自分=アンバーに出会う前の私です。

知らない人にちらっと彼女について紹介すると、アンバーは台湾系アメリカ人で韓国の女性アイドルグループf(x)のメンバーです。女性ですが、事務所がもともとトムボーイだったアンバーの個性を活かしてデビューさせたので、デビュー初期は「なんで男がガールズグループにいるんだ」等々、誤解され悪口を言われていたこともありました。私が初めて見たときもなんだこのイケメンはって完全に男の子だと思っていました。そのくらいイケメンなんです…果てしなく…女の子って知って500倍好きになりました。実際現在でもくだらない悪質コメントを書いて彼女を傷つけることで人生の時間を無駄遣いしている輩はいますが、今では女性ファンも男性ファンもたくさんついて、フレンドリーなことで有名で、芸能界に友達がめちゃくちゃ多いです。自分がアジア系のアメリカ人だということもあって、人種差別や偏見に対して断固反対する意見を持っている素敵な人です。そして彼女がもう一つ主張していることが、他者の違いを受け入れること。いつの日かのアンバーのインスタグラムで心に残ったキャプション。

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今まで強制的に何か言おうと思ったことはないんだけど、私が強く信じていることに対して断固とした態度をとらなければいけない時が来たみたいです。最近の出来事に関して、ちょっと言いたいことがあります。私は人生の大部分をトムボーイとして過ごしてきましたが、正直、手短に言えば、そういう生き方って本当に最悪な時があります。私を嫌う人は嫌うだろうけど、面と向かって私を侮辱することはまったく別問題です。私は個人的に、女の子も男の子もある特定の見た目に縛られる必要はないと信じています。すべてのかたちとサイズに美しさがあるのです。私たちはみんな違います。私たちみんなが同じメロディーを歌ったら、どんなハーモニーが生まれるでしょうか。自分と違うというだけで、他人を判断しないでください。私たちみんなが、互いの違いを尊重しあえるようになることを祈っています。私はいつでもポジティブで、幸せでいようと努力しているし、自分の人生と、仕事と、ずっと私を応援してくれる人たちを愛しています。私だけの力ではここまで来れなかったから、いつでもとても感謝しています。失敗をするたびに、自分の過ちを正してよりよい姿をお見せしようと努力しています。完璧にはなれないことはわかっているけれど、それでもいつもベストを尽くすつもりです。このことに関して、いつも私を励まし、信じてくれている皆さんにもう一度感謝したいです。簡単に言えば、みんなお互いを愛し、助け合いましょう。そして、今苦しんでいる人へ。いつもあなた自身でいてください。自分自身が何者なのかについて誠実であろうとすること、正直であろうとすることはあなたがあなた自身にしてあげられる最大のことです。人生を愛して、一生懸命に働き、夢を追ってください。

もう一度、ありがとうございます。

 性別によって、男の子はこういう姿でなければならない、女の子はこういう姿でなければならないというルールは存在しない。自分と違うからという理由で他人を勝手に判断せず、すべての違いを尊重しあわなければならない。アンバーの大事にしていることって、様々な違いを持った人と助け合い、調和すること、そして自分を支えてくれる人に感謝の気持ちを忘れないことなんだろうなっていうのがすごく伝わってくる文ではありませんか。

自分に合わない椅子に悩んでいた私にとって、アンバーは救世主だったな、と思います。10代とか、思春期の子にとって大事なのは、自分の嫌いなところや悩みを克服させてくれるような、自分によく似ているけれどお手本になってくれる人がいることだと思います。

アンバーはただ彼女らしくいるだけなんだけど、存在だけでもありがたい。だれかの言う「男の子らしい」とか、「女の子らしい」とかいう姿が自分にとって居心地の悪いものであれば無理をする必要はない。いつでも自分自身に正直であることが自分自身にとって大切なのだということを教えてくれた人です。

椅子の話に戻れば、椅子に座ること自体が嫌な人もいて、そういう「立ってる人」に対して世間はどちらかの椅子に座ったほうが楽だからとどちらかに座るように求めます。でもあなたにとっては座っていたほうが楽かもしれないけど、私にとっては立っていたほうが楽っていう人もいる。アンバーに出会う前の私は、女の子椅子が不便なら絶対に男の子椅子に座らなければいけないと思い込んでいて、でも男の子椅子もつらいし移動も面倒だから、女の子椅子に5センチくらいで腰かけていたような気がします。座ろうと思えば座れるんだけど、黙ってお座りはできない。だから自分はどこか欠陥した人間なんだろうと思っていました。どちらの椅子にも座らないのが楽ならそのままでいいんだ、と思うことができるようになったのはアンバーに出会ってからです。椅子が合わないなら変えればいい。立っているほうが楽なら立っていてもいいし、座りたい時があるならその時座ればいい。どの椅子に座るか、座るのか立つのか、どう座るのか、いつ座るのかを、周りは強制したり批判したりしてはいけない。自分の椅子の座り方と違うからといって、他人の痛みを理解せず、排除しようとすることは絶対に許されない。他人の痛みは永遠に理解できないのだからこそ、痛くないはずだ、とも、痛いはずだ、とも言えない。

私は小さい頃にいろいろあって割り当てられた椅子に黙って座っていられないという人間になりましたが、そのおかげで性別について、性別に社会的役割を持たせようとする社会について、そして、そのような社会のなかで苦しんでいるかもしれない人びとについて考えるきっかけを手にしました。社会に対して常に若干の居づらさを感じていると、なぜこんなに居心地が悪いのかについて自然と考えるようになりました。自分みたいな人間がいることで、悩んでいる誰かが解放されたり、男はこうあるべき、女はこうあるべき、みたいな制約に対して疑いを持つ人が現れたり、するんではないかなとひそかに望んでいます。

私という自己アイデンティティは常に社会の一部として社会構造を創造することに加わり、またその社会構造から常に影響を受けてアイデンティティを構築していくものらしいです。だから、私が一人意識を変えるだけでも社会の構造は変わる可能性がある。現に私という社会の一部が意識の持ち方を変えたので、かなり局地的ですが社会は変わっているというふうにとらえることができます。かなり楽観的で極端な考え方ではあると思います。でも、自分自身に正直でいること、ぶれないということは本当に社会変革の一部を担っているのかもしれません。他者の違いを受け入れて、痛みを理解しようと絶え間ない努力を続ける社会になるといいです。

アンバーの話がここまで飛躍しました。アイドルっていいですね。