下雨的日。

台湾の雨が恋しい私の身の回りで起きていること。

アイドルっていいんですよね――救世主アンバーの登場と椅子からの解放

毎日文献の整理やらレジュメ作成やらに追われています。しんどいですが楽しいです。イェソンさんがなんかのオーディション?サバイバル番組でチャンスをつかむためにすべて捨てて命かけて練習したみたいなことを言ってたのを思い出し、アイドルじゃなくても何かに必死になるって共通してこういうことだよなあという人間の真理みたいなものを感じ、寝ることを諦めました。アイドルってほんといいですね。どうせ外見だけの偶像崇拝なんだろって思うでしょ。中身まで尊敬させてくる人がたまにいるんですよね。一般人にとってもロールモデルとして据えたくなるような本物のアイドルがね…という導入でお気づきかと思いますが今日はアンバーというアイドルを通して椅子の使い方を改めて考えてみようという回です。

ここでいうところの椅子は、この世にたった二種類しか存在せず、必ずどちらかに座れなければいけないという、「(社会的な)男」、「(社会的な)女」という名前を持った椅子のことを言います。

社会で男、女にそれぞれ与えている役割を椅子に例えて、性別に違和感を持っている人の気持ちを分かりやすく漫画にしてみたという記事がBuzzFeedに上がっていたので、それを読んでちょっと考えた話。

https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/trans-x-gender-manga?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharecopy

 

この記事を読んで、座り心地が悪いのか知らないけど、昔から椅子が合わなくて、でも別の椅子に移動するほどケツが痛いとかでもない、だからといって座ってるふりするのも癪だった昔の自分を思い出しました。そこまで自分がどっちに帰属するのかわからなくて悩むほどではなかったんですが、必ずどちらかの椅子に座れと言われることにもやもやした違和感を持っていました。昔の自分=アンバーに出会う前の私です。

知らない人にちらっと彼女について紹介すると、アンバーは台湾系アメリカ人で韓国の女性アイドルグループf(x)のメンバーです。女性ですが、事務所がもともとトムボーイだったアンバーの個性を活かしてデビューさせたので、デビュー初期は「なんで男がガールズグループにいるんだ」等々、誤解され悪口を言われていたこともありました。私が初めて見たときもなんだこのイケメンはって完全に男の子だと思っていました。そのくらいイケメンなんです…果てしなく…女の子って知って500倍好きになりました。実際現在でもくだらない悪質コメントを書いて彼女を傷つけることで人生の時間を無駄遣いしている輩はいますが、今では女性ファンも男性ファンもたくさんついて、フレンドリーなことで有名で、芸能界に友達がめちゃくちゃ多いです。自分がアジア系のアメリカ人だということもあって、人種差別や偏見に対して断固反対する意見を持っている素敵な人です。そして彼女がもう一つ主張していることが、他者の違いを受け入れること。いつの日かのアンバーのインスタグラムで心に残ったキャプション。

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今まで強制的に何か言おうと思ったことはないんだけど、私が強く信じていることに対して断固とした態度をとらなければいけない時が来たみたいです。最近の出来事に関して、ちょっと言いたいことがあります。私は人生の大部分をトムボーイとして過ごしてきましたが、正直、手短に言えば、そういう生き方って本当に最悪な時があります。私を嫌う人は嫌うだろうけど、面と向かって私を侮辱することはまったく別問題です。私は個人的に、女の子も男の子もある特定の見た目に縛られる必要はないと信じています。すべてのかたちとサイズに美しさがあるのです。私たちはみんな違います。私たちみんなが同じメロディーを歌ったら、どんなハーモニーが生まれるでしょうか。自分と違うというだけで、他人を判断しないでください。私たちみんなが、互いの違いを尊重しあえるようになることを祈っています。私はいつでもポジティブで、幸せでいようと努力しているし、自分の人生と、仕事と、ずっと私を応援してくれる人たちを愛しています。私だけの力ではここまで来れなかったから、いつでもとても感謝しています。失敗をするたびに、自分の過ちを正してよりよい姿をお見せしようと努力しています。完璧にはなれないことはわかっているけれど、それでもいつもベストを尽くすつもりです。このことに関して、いつも私を励まし、信じてくれている皆さんにもう一度感謝したいです。簡単に言えば、みんなお互いを愛し、助け合いましょう。そして、今苦しんでいる人へ。いつもあなた自身でいてください。自分自身が何者なのかについて誠実であろうとすること、正直であろうとすることはあなたがあなた自身にしてあげられる最大のことです。人生を愛して、一生懸命に働き、夢を追ってください。

もう一度、ありがとうございます。

 性別によって、男の子はこういう姿でなければならない、女の子はこういう姿でなければならないというルールは存在しない。自分と違うからという理由で他人を勝手に判断せず、すべての違いを尊重しあわなければならない。アンバーの大事にしていることって、様々な違いを持った人と助け合い、調和すること、そして自分を支えてくれる人に感謝の気持ちを忘れないことなんだろうなっていうのがすごく伝わってくる文ではありませんか。

自分に合わない椅子に悩んでいた私にとって、アンバーは救世主だったな、と思います。10代とか、思春期の子にとって大事なのは、自分の嫌いなところや悩みを克服させてくれるような、自分によく似ているけれどお手本になってくれる人がいることだと思います。

アンバーはただ彼女らしくいるだけなんだけど、存在だけでもありがたい。だれかの言う「男の子らしい」とか、「女の子らしい」とかいう姿が自分にとって居心地の悪いものであれば無理をする必要はない。いつでも自分自身に正直であることが自分自身にとって大切なのだということを教えてくれた人です。

椅子の話に戻れば、椅子に座ること自体が嫌な人もいて、そういう「立ってる人」に対して世間はどちらかの椅子に座ったほうが楽だからとどちらかに座るように求めます。でもあなたにとっては座っていたほうが楽かもしれないけど、私にとっては立っていたほうが楽っていう人もいる。アンバーに出会う前の私は、女の子椅子が不便なら絶対に男の子椅子に座らなければいけないと思い込んでいて、でも男の子椅子もつらいし移動も面倒だから、女の子椅子に5センチくらいで腰かけていたような気がします。座ろうと思えば座れるんだけど、黙ってお座りはできない。だから自分はどこか欠陥した人間なんだろうと思っていました。どちらの椅子にも座らないのが楽ならそのままでいいんだ、と思うことができるようになったのはアンバーに出会ってからです。椅子が合わないなら変えればいい。立っているほうが楽なら立っていてもいいし、座りたい時があるならその時座ればいい。どの椅子に座るか、座るのか立つのか、どう座るのか、いつ座るのかを、周りは強制したり批判したりしてはいけない。自分の椅子の座り方と違うからといって、他人の痛みを理解せず、排除しようとすることは絶対に許されない。他人の痛みは永遠に理解できないのだからこそ、痛くないはずだ、とも、痛いはずだ、とも言えない。

私は小さい頃にいろいろあって割り当てられた椅子に黙って座っていられないという人間になりましたが、そのおかげで性別について、性別に社会的役割を持たせようとする社会について、そして、そのような社会のなかで苦しんでいるかもしれない人びとについて考えるきっかけを手にしました。社会に対して常に若干の居づらさを感じていると、なぜこんなに居心地が悪いのかについて自然と考えるようになりました。自分みたいな人間がいることで、悩んでいる誰かが解放されたり、男はこうあるべき、女はこうあるべき、みたいな制約に対して疑いを持つ人が現れたり、するんではないかなとひそかに望んでいます。

私という自己アイデンティティは常に社会の一部として社会構造を創造することに加わり、またその社会構造から常に影響を受けてアイデンティティを構築していくものらしいです。だから、私が一人意識を変えるだけでも社会の構造は変わる可能性がある。現に私という社会の一部が意識の持ち方を変えたので、かなり局地的ですが社会は変わっているというふうにとらえることができます。かなり楽観的で極端な考え方ではあると思います。でも、自分自身に正直でいること、ぶれないということは本当に社会変革の一部を担っているのかもしれません。他者の違いを受け入れて、痛みを理解しようと絶え間ない努力を続ける社会になるといいです。

アンバーの話がここまで飛躍しました。アイドルっていいですね。

 

 

 

我的激アツ中国5日間の旅

行こう行こうと思いつつ香港にハマったり台湾にいたりで中華世界に関わりつつ迂回気味だった中国大陸についに行ってきたっていう、話です。

 

食べ物とか交通とか、そこらへんの基本的なところは香港と台湾とあんまり変わらないだろうしそこまで適応できないなんてことはないだろうと思ってはいたものの、香港とか台湾とか、そういう視点からしか中国を見てなかったから大陸中国と聞くと「外側から知りすぎてて」なんとなく不安に思ってたんだなと、思いました。本末転倒。

そんな中国に初めて行ってきた話。

 

さすが中国、広かった

飛行機の遅延で本当なら3時間のところを6時間かけて上海の浦東国際空港に到着し、そこから高速鉄道で南京まで移動。上海なかなか着陸できないっていうのはあるあるらしいので次回もし来るとなったら別の都市の空港に降りて上海までは陸路を使おうと心に決めた。

中国大陸の地を初めて踏んだ感想を一言でまとめると、台湾とか香港に行ったことある人じゃないとピンとこないかもしれないけど、台北を引き延ばして香港を縦に潰した感じです。雰囲気は似てるんだけど、台北ほど狭くなくて、土地が広いから香港みたいに縦に引き伸ばさなくても人が住めるって感じ。河から建物から何から何までとにかく日本の規格の1.5倍で作られてるんだなーさすが大陸だなーって思った。ケチくさい感じが一切ないんですよとにかく。 降り立つなり大陸の雄大さに抱かれた。

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南京の秦淮河。秦の始皇帝が南京の土地の豊かさを見てこの地を治める王が現れるだろうと予感し、堀を掘ったのがこの河らしい。(2019. 3. 11撮影)

 

カツカツで回った南京1泊2日

南京は一泊2日でいいかな〜とか思っていたのに、調べれば調べるほど行きたいところがゴロゴロ出てきて結局時間が足りなかった。南京て歴史の長い町だから、古くは秦の始皇帝三国志の時代から、中華民国の時代まで、関連の遺跡やら博物館やら記念館やらが多い。見るものが多いのに加えて、上記の通り土地がとにかく広いので、一泊2日じゃ全然足りなかった。上海のついでじゃなくて、南京を本格的にメインにして何日か滞在するべきだったと反省いたしました。

というわけで、中山陵とか中華民国南京総統府とか見たいところはたくさんあったのですが、中国はまたそのうち来るだろうなと未来に期待を託して、ここぞというところだけ選んでいきました。孔子が祀られている孔子廟と、南京大虐殺平和記念館です。

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南京といえばこの水辺と中国風の建物ってイメージありません?この孔子が祀られている夫子庙ってところがそこでした(2019. 3. 11 撮影)
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科挙のそれぞれのレベル?に合格した人たちの称号が並ぶ(2019. 3. 11撮影)

孔子廟は中国の文化の深さを思い知らされる場所でした。文明は大地で文化はそこに育つ草だと思っているのですが、文明という豊かな大地のある国の文化の深さは底知れないです。大学や高校の入学試験も家柄ではなく実力のある人を登用しようとした科挙がはじまりだし、年上の人を尊ぶという意識も孔子儒教がはじまりなわけだから、今東アジアで軸になってる思想のはじまりは中国にある。孔子廟科挙博物館てところがあるんですけど、そこにもしかしたら世界初かもしれないカンニングペーパーが展示されてて燃えました。あの靴下とか小さい手帳に四書五経が全部写してあるやつ。世界史の授業で絶対1度は目にするやつです。そこまで写す気力があるなら覚えられそうだけどねって思いながら、科挙カンニングの歴史の深さを知りました。

 

もう一つ南京で行ったところが、南京大虐殺平和記念館で、ここは共産党が運営しているところってことで入場無料、しかも日本語の翻訳つき。ここは学生のうちに絶対に行っておきたかった場所。もし南京を訪れる機会があれば必ず行ってほしい。人それぞれ感じることは違うだろうから感想は述べずにおきますが、たとえ自分たちが過去のことに直接責任をとることはできなくても、過去の記憶を通して中国の人たちと向き合って理解しようとすることはできる。この事件に関してはあったとかなかったとか犠牲者の数がどうだとかいう論点を通り越して、今明かされている事実から冷静な判断を下すことが大事だなと思いました。翻訳の問題だろうけれど、ちょっと表現の仕方が大雑把な感じはあったので、そこだけ残念だったかな。事実だけを単純に述べてほしかった感はある。でも日本側からの史料とか報道も集めて展示していて、両サイドからの視点があるっていうのはよかった。うん。本当に、学生のうちに行ってよかったところナンバーワン。

 

上海という都会に驚く

南京から上海へ新幹線で移動してみると、上海ってめっちゃ都会なんだなってまず思いました。上海と香港は中国と思うなって言われたことあるんですけど、そーーうですね、そうです。香港よりは田舎くさいんですけど、南京よりは都会。都会というか、国際感覚のある街って感じがするんです。南京で地元感を楽しんだとすれば、上海は香港とかカナダのトロントとか、ああいう世界的な大都市にみられるような国際的な感覚があるのかな。英語が通じるとか通じないとかの問題じゃなく、外国人が多いとか多くないとかの問題でもなく。私の国際的の定義は、「みんながみんな同じじゃないかもしれない」っていう感覚がそこに住んでる人に身についてるかどうかなんですけど、その基準でいくと上海は国際的都市だなと思いました。

もいっこ上海でびっくりしたことがあるんですけど、自販機で20毛沢東が使えるんですよ。南京で散々、細かい札にしないと切符買えなくてアワアワみたいなことあって、小銭が足りるのか、足りなければコンビニに走って余計なものを買うか、みたいな感じだったので、20元を崩さずそのまま自販機とか切符の販売機に入れられるっていうのはかなり便利に感じました。

正直上海が私にとって都会に感じた一番の要素は、ディズニーがあるからでも、国際的だからでもなく、自販機に20毛沢東が入る、その点です。

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こんなに変えたけど半分も使わなかった(もちろん一緒に行ったメンバーで合わせて両替した額です!!)(2019. 3. 11撮影)

上海ではディズニーランド、外滩、スターバックスリザーブロースタリー、フランス租界、あと朱家角という水郷鎮に行ってきました。ディズニー〜フランス租界まではよく行かれる観光スポットなので割愛して、水郷鎮についてはあとでちょっと触れることにします。

 

ついでなので中国のお金の話: 中国人には便利でも外国人には超不便なキャッシュレス社会だった

VISAのクレカが使えない国初めてですよ!!!

基本みんな微信とかアリペイとかで払ってるっていうのは知ってたので、微信あるしそっち使えばいっかなとか思ってたんですけど、中国の口座がないとチャージができないシステム…しかもVISAのクレカもほとんど使えないし、かといって銀聯カードは持ってないし、ってわけで結局究極のキャッシュレス社会に現金で殴り込みです。超絶、不便、でした。南京で1食目の麻辣汤食べに入った時からすでにお釣りがないから追加で何か頼んでくれって言われて野菜を追加してジュースもつけてもらったりして…コンビニにもお釣りはないし、切符買う人なんてほとんどいないから券売機に20元札入らないし…中国に口座を持たない外国人が旅行に行くには支払いの面でかなり不便です。中国人からしたら超便利な社会なんだろうなって。切実に中国に口座がほしいです。

たぶんVISAが中国で全然使えないわけではなく、観光客が多いエリアとか高級ブランド店だったら使えるんじゃないか?と思います。さすがにVISAがまったく通用しないはずはない…かも…

 

おおらかで生き生きした人たちに何度も助けられた話

土地が広いからなのか、なんなのか、中国の人はほんとにおおらかで生き生きしてます。道を鼻歌歌いながら歩いてたり、元気よく会話してたり、周りを気にしないという態度はともすれば他人に迷惑をかけても気にしないということにもなりかねないけど、周りを気にせず自分のペースで生きられるっていいなぁって思います。中国行く前は中国人怖いからみたいなこと聞かされてて若干びびってたんですが、行ってみたら全然そんなことなくて、バスで席空いてたらおじいちゃんが座りなよって声かけてくれたり(上海語でした)。コンビニで卵注文しようとしたら3人いるのに2つでいいのかってわざわざ3つ入れてくれたり(ここらは商売上手なのかもしれませんが卵一個の値段とか大した額じゃないんで)。人懐っこくておおらかな人たちだな〜という印象を受けました。

奇妙なことにガンガン日本語で喋ってるのに現地人に駅への道とかこの電車はこの駅に行くのかとか聞かれたりして、日本人が中国で中国人を助ける珍事件が結構頻繁にあったんですが、まあそこは助け合いってことで。笑

 

ご飯がとにかく美味しかった

もう日本で中華は食べまい…と心に誓いたくなるほど本場は美味しかったです。そこらへんの包子店でもものすごいクオリティの包子が超低価格で食べられる。

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上海の朝ごはん。ワンタンスープと包子。(2019. 3. 15撮影)

もし中国語喋れるならこういうジモティーが行くようなお店で朝ごはん食べてください。ジモティーに混ざって朝ごはん食べるのいいですよ〜。私昔何かのテレビで中国の朝ごはんの様子を見たことあって、せいろから包子蒸してる湯気が立ち上るなか仕事へ行く途中の地元の人が朝ごはん食べてるっていう絵にすんごい憧れ持ってたので、ドリームカムトゥルーでした。お店のおばさんがずっと「綺麗なお姉さんたち〜」って呼んでくれて嬉しかったです笑。

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榨菜面。名前合ってるかわからないけど…(2019.3.15撮影)
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本格的な茶器でいただく中国茶。口にするまでにそれなりの手順を踏んで時間をかける、そこからがお茶なんだなぁと実感(2019.3.15撮影)

 

お茶ももちろん美味しかったです。朱家角っていう水郷鎮に行ったんですが、そこのカフェみたいな。お茶メインでご飯も食べられるカフェに入ったんですけど、河のほとりで日差し浴びながらお茶するって最高でした。搾菜麺は私が世界一好きな中華料理です…ほんとに幸せでした。

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朱家角のお茶屋さんのテーブルに活けてあったお花(2019. 3. 15撮影)
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中国の伝統家屋と水路(2019. 3. 15撮影)
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朱家角の雰囲気たっぷりな細い路地(2019.3.15撮影)

上海というと都会なイメージがあるかもしれませんが、こういう昔ながらの街並みが残る水郷がたくさんあるのでぜひ行ってみてください。朱家角は上海中心部から一番近い(といっても電車で1時間はかかりますが)水郷なので、時間がない人にオススメです。もっと時間があれば他の水郷鎮もまわりたかったし歴史とかも勉強してから行けばよかった〜!!と空港へ向かう道で思いました。

中国ごはんは、南京の適当な街角の包子店とかに入っても、上海の火鍋屋に入っても、どこもとにかく美味しかった。ハズレがまったくありませんでした。いいなぁ朝ごはんが200円くらいでお腹いっぱい食べられるって。台湾から日本に帰ってきてからも毎日のように思ってますが栄養あるあったかい朝ごはんをしっかりお腹に入れて一日を始めると一日がまったく違うんですよね。

 

まとめると中国ってどうなのっていうまとめの話

中国語話せないなら上海、中国語が片言でもわかるなら別の都市もまわるのをおすすめします。中国語わかると100倍楽しいとこだなって思います。中国って北京上海だけじゃないから、有名なところだけまわるんじゃなくてごく普通の街並みにでごく普通に生活してる人の息遣いを感じてほしい。そこにこそ中国のダイナミックさがあるんだろうなって私は思いました。

帰ってきてから中国が恋しくて中国語の歌聴いて中国の番組見て中国のアイドルに一生懸命投票してます…基本的に私は海外旅行に行ってもうここは二度と来たくない!って思うことはなくて、むしろハマって帰ってくることが多いんですけど、それでも中国はハマり具合が結構上位に来てます。めーっちゃ資本主義っぽいギラギラした街並みがあるかと思えばふいに現れる社会主義核心価値観12個もかなりおもしろかったし…住めばまた違う面が見えてくるのかもしれませんが、旅行先としてはかなりおすすめできます。まあでも住んでどんな面が見えてきたとしても国単位で好き嫌いを言うことに意味がないっていうのは台湾留学でよーくわかったのでしばらく住んでもぶーぶー言いながら中国おもしれーって言ってると思いますが!笑

これでやっと中国研究ゼミにいながら大陸に一回も行ったことない学生って言われなくなったぞー…

なぜ大学院で香港研究なのか

そろそろ大学の卒業も近づいてきて、毎度毎度学校を卒業する時に感じることですが変な感じです。今までいたところを旅立つっていうのは。

春から大学院生ということで、自分で気持ちを新たにするためにもなぜ大学院なのか、なぜ香港の民主主義研究なのかということについて一旦今の時点で区切りをつけてまとめてみようと思います。

 

専門とする研究分野を簡潔に説明する

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ビクトリアピークから眺める香港島の夜景(2016. 8. 6撮影)

 

私の研究分野(というのもおこがましいけど)は香港の民主主義運動です。ドーンとでかいテーマではあるんですが、卒論では特に1980年代香港の民主化運動を中心に調査をしました。1980年代の香港というと、イギリスが租借していた香港の土地の期限切れ(1997年)が近づき、イギリス対中国による香港返還交渉がはじまり、紆余曲折を経ながら香港のミニ憲法とも呼ばれる基本法だったり返還後の統治のかたちだったりがまとまってきたところで、中国大陸で天安門事件が発生し、これに反応して香港でも未曾有の規模でデモが行われるという、まさにカオスです。天安門事件は中国の民主化を夢見る若者たちが香港の人々、そして台湾の人々も巻き込んで、北京政府に対して対話と民主化を要求し、結果たくさんの犠牲者を出してしまった事件ですが、この時に香港は「中国の民主化を精神的にも物質的にも支援する基地」としての役割を果たしました。そのため北京政府から香港は反北京政府的な勢力の基地となる恐れがあるとみなされ、香港での有事の際には北京政府が介入するという内容の法律が基本法に組み込まれたりもしました。私は香港という地を通して、香港の民主化運動が国際的にどのような影響力を持っているのか、そしてもっともっと根本的なところで、人々のアイデンティティナショナリズム、国家とは何なのかを考えたいと思っています。偉そうに言うと、香港というサンプルを使って、政治学おける普遍的な定義を再考する、みたいな感じです。

上手くいくのかどこまで解明できるのかはわかりませんが、とりあえず手を出してみたのでできるところまでやろうと思っています。

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船の上から香港島を眺める(2017. 6. 29撮影)

 

なぜ台湾留学だったのか

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台湾淡江大学教室(2017. 5. 25撮影)

台湾に留学してたのになぜ香港なのか、とはよく聞かれますが、台湾に留学する前から卒論は香港のことについて書こうと心に決めていました。にも関わらず台湾に留学した理由は、一番は語学の面を強化したかったということと、もう一つは2年の時に日本研究として台湾の日本統治期を学んだことで、台湾という地に関心をもったことがあります。そしてマイナスな理由も述べると、本当は中国に行きたかったのですが、台湾の大学は学費が免除されるというとで、台湾留学の方がお財布に優しかったというのがあります。そしてこれはほぼ後付けの理由なんですが、香港に関する一次史料は繁体字で書かれているので、同じ繁体字を使う台湾で中国語を勉強した方が圧倒的に研究が楽になります。これに関しては日本に帰ってきて香港の史料を見たらスイスイ読めるようになっていて、その時はじめて台湾に行って良かったと実感したので特にはじめから狙っていたわけではないんですが、大学院の関係者の方になぜ台湾に留学したのかと聞かれた時には用意周到なふりをするために「実は繁体字が読めなかったんで台湾で目を鍛えてきたんです」と言っています。だいたい50%は真実なので嘘には入らないと思ってます。そういうわけで台湾に1年行ってきました。

 

どうしてもやりたかった中国研究

研究分野の選定に関してはちょっと反骨精神的なところがありました。私が大学に進学したてのころは、日中関係が冷え切り、テレビでも身の回りでも、中国を敵対視するような言説で溢れかえっているような時期でした。私は別に中国に知り合いがいたわけでも、中国人の知り合いがいたわけでもありません。ただ、メディアで言われていること、周りの人が言っていることは本当なのか、本当に中国に対してその認識でいいのか、気になると同時に不安に思いました。どちらか一方の話しか聞こうとしないという態度は人間関係でもこういう国と国みたいなどでかい話になってもよりよい結論を出そうとする上で大きな障害だと高校生の時になんとなく考えていたからです。もともと自分の目で確かめないと気が済まない「百聞不如一見」を第一主義にしている人間なので、中国に関しても自分で情報を集めて自分で話を聞いて来なきゃいかんと思いました。じゃあ中国語を徹底的にやって中国の勉強をしたらいいんじゃないか、と思いつきました。大学1年になるかならないかくらいの時にぼやっと考えていたことです。

日中関係が冷え切っていたせいか中国語を第二外国語として選択した学生が少なかったのはある意味では幸いでした。超少人数のクラスだったので、先生に一人一人発音のチェックをしてもらい、質問にはじっくり付き合ってもらい、本当に質の高い中国語の授業を受けることができました。

中国語を勉強していた、ということと、いちいち人と違うことがやりたい中二病的精神があったので、中国に対する悪いイメージが溢れかえるなかであえて中国を研究しようと思いました。ただ2年次に開講している東アジア関連のゼミが台湾か韓国かしかなかったので、台湾研究のゼミを選ぶことになり、そこから前述のとおりあれよあれよという間に台湾にいた感じです。

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ミスプリで車酔い運転が中国で行政処罰の対象になってしまった筆者作のレジュメ(2016. 7. 5撮影)

 

なぜ香港なのか

中国研究といっても広い国土に長い歴史に、研究できる範囲は広大です。そのなかでなぜ香港だったのか。香港が人生で初めて触れた「外国」だったからだろうと思います。

幼い頃に父が香港に出張に行き、私に香港のお土産をくれたことがありました。私が人生で初めてもらった外国のお土産が香港の摩天楼の写真がプリントされている小さいキーホルダーだったのですが、「香港」と文字が入っている写真を見ながら、香る港と書いて「ホンコン」なんて読み方するのか、不思議だな~とか思ってました。ここはどんな街でどんな人が住んでいるんだろうと好奇心を刺激されたことを今でもよく覚えています。

そして、偶然にも自分が大学に入って社会学を齧り始めたまさにその時に香港で「雨傘運動」が発生しました。日本では年々若い人の政治に対する関心が薄れているのに、香港では同じ世代が催涙弾に耐えながら民主化を訴えている、という事実があまりに衝撃的で、それ以降民主主義や西洋思想に関する授業をかなり受講しました。香港のことはずっと心のどこかに引っかかっていたのですが、たまたま香港に旅行に行く機会があり、一度香港の地を踏んだら、あっという間にその土地自体の虜になってしまいました。

地下鉄の駅を出て、初めてあの湿気と熱気に包まれて摩天楼を見上げた瞬間の感動が忘れられません。小さい頃写真で見ていた街がそっくりそのままそこにあったので、まるで映画のなかに迷い込んだような気分で超エキサイティングでした。街を歩きながら香港の大国際都市としての大きさを感じつつ、室外機からの水滴を頭に浴びながらそこにたしかに人々が生活していることを感じました。香港の人は東京の人とは違って、そこに住んでいる、そこで働いているのではなく、この地で生きているんだな~と思いました。小さい頃、小さな写真で眺めていた香港は、やはり期待していた通り、もしかしたらそれ以上に刺激的な街でした。研究するなら、好きな地域のことをやれば絶対楽しい、と思い、旅行から帰ってきた後に改めて香港のことを研究しようと心に決めました。実際は楽しいことだけじゃありませんが。

中国の一部だけれど、そこには中国と分離されて発展してきた歴史があり、中国大陸を追われた思想家のシェルターにもなった地。中国4千年の歴史と比べれば中国大陸と分離されていた時期ははるかに短いものですが、その短期間に国際金融都市として世界に踊り出し、独特の広東語大衆文化を花開かせ、そして独自の政府と憲法を持つ場所。正式な国ではないのに、まるで一つの国のように機能する香港という場所は、なにが国を国としているのかという疑問を投げかける地のように思えてなりません。

もともと国家やイデオロギーナショナリズムアイデンティティに関心があったので、香港という地を通してもう一度それらの要素について考えてみたい、ここを研究しなければならないと思いました。

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香港にはためく中国の五星紅旗とバウヒニアを描いた香港の区旗(2016. 8. 10撮影)

 

なぜ大学院なのか

大学院に進学した理由は一つにつきます。学部で学べると思ったことが学べなかったからです。正直1、2年で国際関係の基礎を学んで、3年から専門的な研究に入り、卒論のテーマを決め、4年で就活しながら卒論を書くという過程では、専門的な研究ができる時間が実質3年の前期くらいしかないわけです。知りたいことはたくさんあるのに、時間的な余裕がない。大学生活を終えてみてやっとわかったことですが、大学の授業って専門的にその分野を研究している研究者の人たちからしたら、イントロダクションのイントロダクションみたいなものなんだろうと思います。香港について研究したい、気になることが多すぎると思った時には知りたいことを知るのに時間が足りないことに気がつき、後先考えず大学院に行かなければいけないと思いました。特にものすごい理由があって大学院に行きたいわけじゃなく、今やりたいことを気の済むまでやってみなきゃいけないと思ったからです。勉強がよくできるわけでもないのですが、良くも悪くも一度手を出すと諦めが悪い性格なので、大学院に進学することにしました。きっと大学院を修了してどこかに就職しても、香港について考えるということは手放せないだろうなと思います。

今やりたいことがあるのに、それをやらずに卒業して就職したら後悔しそうだなと思ったから大学院に行くという、それだけの理由だったのですが、院試を準備していた期間は人生でいちばん辛かったです。将来の計画も何もなくただ今やりたいからやる、という動機だったのにやたらと「修了したあとの計画」を聞かれてずいぶん悩み、適当な嘘もだいぶつきました。卒論で手一杯なのに修了したあとの計画なんか今眼中にもないわって感じでした。今考えると常に目の前のことしかこなせない輪廻1周目かよって感じですね。魂の修行が圧倒的に足りてない感。大学院ではやりたいと思った時に物怖じせず自分で進めていく推進力があるということを他の誰でもない自分に実感させてやれるような、魂の修行をしたいです。

 

長くなりましたが私が香港研究を始めたきっかけと院進を希望した理由はこんな感じです。香港が好きというのと魂の修行がしたかったからですね。猪年なので猪突猛進型で単純なので深いことはあんまり考えてません。座右の銘は「意識の流れに従う」です。『海辺のカフカ』のナカタさんのように生きて、大島さんのような存在感を手に入れたいです。

院生生活も実りあるものになりますように。祈願。

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ふせんを挟んで読むくらい好きな私の人生のバイブル 村上春樹海辺のカフカ』(2019. 2. 20撮影)

 

 

昨日は雨傘運動後の香港社会に関するシンポジウムにお手伝いとして参加させてもらいました。まだ学部生なのに図々しいなあと気おくれはしてますがI'm suppose to be hereで図々しさは大事にしていきます。

明日からは上海です。

中国三昧な日々で学部生活を締めくくることができるのは本当に幸せなことです。

 

今更になって書いてみる脱コルセット

CLCの新曲NOがめちゃくちゃかっこいいと私のなかで密かに話題です。BLACK DRESSに続いてガールクラッシュ路線でコンセプトを掴んだようで、このままのコンセプトでいってくれたら、BLACK PINKとMAMAMOOと並んでガールクラッシュ御三家みたいになるんではないかと期待してます。

 

今回の新曲、特に歌詞がかっこいいので載せますね。

 

Red lip NO
Earrings NO
High heels NO
Handbag NO

Red lip NO
Earrings NO
High heels NO
Handbag NO

그렇게 뻔한 건 말고

そんな分かりやすいものじゃなくて
다른 걸 가져와 내게 제일 어울리게

別のもの持ってきて 私に一番似合うように
더 멋져질 방법은 말고

かっこつける方法じゃなくて
멋대로 망쳐봐 내가 제일 나일 수 있게

やりたいようにぶちこわしてみて

私が一番私らしくいられるように

날 걱정하는 척 날 가르치는 너

私を心配するふりして教えようとするあなた
그만해도 돼 입만 아프니까

やめてもいいのよ口が酸っぱくなるだけだから
좀 차가운 이 말투 잘 어울리는 걸

ちょっと冷たい口の聞き方が私にはよく似合う
난 너를 위해 바꾸지 않지

あんたのために変わったりしない

난 빛이 나 빛이 나 빛이 나

私は輝いてる
다 이리 와 여길 봐 나를 봐

みんなこっちにきて私を見て
또 신이 나 신이 나 신이 나

気分が上がってくる
난 예쁘다 멋지다 미친 나

私は綺麗でかっこよくて狂ってる

난 빛이 나 빛이 나 빛이 나

輝いてる
다 이리 와 여길 봐 나를 봐

みんなこっちにきて私を見て
또 신이 나 신이 나 신이 나

また気分が上がってくる
난 예쁘다 미친 나

私は綺麗 狂ってる

I love me I like it
내게 제일 어울릴 Lipstick

私に一番似合うLipstick 
I love me walk like me
하고 싶음 해봐

やりたいようにやってみて
Red lip NO

Red lip NO
Earrings NO
High heels NO
Handbag NO

Red lip NO
Earrings NO
High heels NO
Handbag NO

싫으면 말고

嫌ならやめて
다른 델 알아봐 입맛에 맞을 수 있는

他のところ行きなさいよ あなたの口に合うような
청순 섹시 귀엽다는 말도

清純 セクシー 可愛いなんて言葉も
그 말 하나론 날 표현할 수 없어

そんな言葉1つで私を表すことはできない

이건 어때? 난 좀 별로

これはどう? 私はあんまり
막 끼워 맞추지 마 그런 결론

適当に合わせないで そんな結論
평범한 멋들과는 달라

普通のかっこよさとは違う
그래 나만큼은 내 식대로

そう 私くらいは私なりのやり方で
쥐었다 폈다 바람대로 날아가

思いのままに風の向くままに飛んでいく

난 빛이 나 빛이 나 빛이 나

私は輝いてる
다 이리 와 여길 봐 나를 봐

みんなこっちにきて私を見て
또 신이 나 신이 나 신이 나

また気分が上がってくる
난 예쁘다 미친 나

私は綺麗 狂ってる

I love me I like it
내게 제일 어울릴 Lipstick

私に一番似合うLipstick
I love me walk like me
하고 싶음 해봐

やりたいようにやってみて

구두 NO

靴 NO
향수 NO

香水 NO
가방 NO

鞄 NO
화장 NO

化粧 NO
청순 NO

清純 NO
섹시 NO

セクシー NO
애교 NO

愛嬌 NO
착한 척

いい子のフリ

Red lip NO

Red lip NO
Earrings NO
High heels NO
Handbag NO

Red lip NO
Earrings NO
High heels NO

Red lip NO

拝啓 作詞作曲編曲スヨン様。並びにイェウン様。素晴らしい作品をありがとうございます。

超かっこよくてYouTubeで動画見まくってるけど、なんかどうも言行不一致じゃんみたいなコメント多くて、CLCのファンもそれに怒ってるし、フェミニズムとアンチフェミニズムの対立みたいなのも見えてきてちょっと引いた。素直にかっこいいって認めようぜみんな。というか外国人の私でも歌詞の意味わかるのになんで韓国人が理解できてないんだっていう。

 

言行不一致説は口紅もイヤリングもハイヒールもNOって歌ってるくせに本人たちは口紅もつけて化粧もしてハイヒールも履いてるじゃないか、こんな歌歌うんだったら化粧しないで裸足でステージに上がれっていう、まとめるとだいたいこんな感じの主張です。

でもちゃんと歌詞を見てみると、口紅やアクセサリーや綺麗かわいいなんて言葉では私の本当の価値は表現できない、誰かの求める私じゃなくて私らしい私になるって意味の歌だと思うんですよね。口紅をつけないって意味でもないし、ハイヒールなんて履きたくないって意味の歌でもないし、ましてや化粧するなっていう意味の歌でもない。

 

化粧をしないといえば、ちょっと前まで韓国で脱コルセットなんて言葉が流行ってました。社会が女性に求める美の基準に反旗を翻す運動で、髪を切ったり化粧品をバラバラにしたりデモやったり一時期すごかったなぁという記憶があるのですが、遠くから見ている私はなんとなく違和感を感じた。一言添えておくと私はアンチフェミニストではないし、むしろその観点で言うならフェミニストの部類に入ると思う。その上で私の思う脱コルセットについて書いてみようと思う。

まず脱コルセットに賛成できる点は、女性の美が社会から求められているものだということを明らかにした点と、それにNOを突きつけることができたという点。化粧とか整形とかはよく自己満足だと言われる。確かにそれはそう。そうなんだけど、これが美しさだ、という基準は知らず知らずのうちに社会が作って私たちに刷り込まれているものだと思う。色白で赤い口紅をつけて、みんな卵型の輪郭で目が大きくて二重で鼻が高くて、そういう芸能人ばっかりテレビに出てもてはやされてたら、そりゃ一般の人だってそうしたくなるよね?社会の決めた美っていうのがある程度は存在して、どれだけそういう美の基準に自分を当てはめていくか、そこからが自己満足の範囲だと思う。だから化粧と整形は自己満足っていうのは半分当たってるようで当たってない。化粧と整形が完璧な自己満足だったら、国ごとに美しいとされる顔や体型が違うことの説明がつかない。よくこういう議論で私は別にそんなの気にしないとか、私の周りでは化粧しないとなんだかんだ言う人なんかいないという超主観的な反論をする人が必ずいるけど、これは個人個人の経験を話し合ったからって解決する問題じゃない。個人の生きてきた環境なんてみんな違うから、そんなものは反論の根拠にならない。一度作られた美の基準のなかでは、ありのままの自分の姿を認めるより、その基準に従って生きた方が何十倍も楽にきまってる。そんな社会の中でみんなでNOを言えるようになったっていうのが一歩前進だなと私は思うのです。

でも、だからといって化粧や着飾ることを全面的に否定するのはそれもやっぱり違う。化粧品をバラバラにした写真は見てて心が痛かった。化粧品を作ったメーカーの人は使う人のことを考えて開発したはずなのに、突然敵対心を持たれたわけだから悲しくないはずがない。物は大事にするべき。脱コルセットで敵だとするべきなのは、別に化粧が必須なわけじゃない学校や職場で化粧が求める社会というか、その場の雰囲気だったり、化粧をしないと外に出られないという強迫観念を持ってる自分自身だったり、ほんとは紫のリップを塗りたいのに赤いリップじゃないとジロジロ見てくる街の人であったりで、化粧品それそのものではない。今時化粧をするのは女だけではないし、男だって化粧品を使って自分を表現する時代だ。化粧を誰かに求められていて、毎朝化粧するのが苦痛で仕方ない人はしなければいい。したくない人に化粧を強要する社会であってはならない。脱コルセットした女は自己管理を諦めた豚女だ、とか言う人がいるから脱コルセットなんて運動が始まったんだと思うけど、脱コルセット運動自体が逆に化粧したい人を白い目で見るようであってもいけないと思う。自分を表現することってすごく楽しいし、満足感を得られるから、私が好きな私で外を歩くっていいこと。脱コルセットって言葉を表面的にとらえて自分を表現したい方法で表現することができなくなるなら、それは本当の脱コルセットなのか疑問である。

そして、一定の基準を求められてるのは女性だけじゃない。男性にだって、やれ年収はいくらで時計はいくらで、背が高くて顔が整ってれば有利だのなんだの、求められてるものはたくさんある。脱コルセットを外側からどうのこうの言うんじゃなくて、男の人だって中に入っていいと思う。本当は化粧したいとか、本当は髪を伸ばしてみたいとか、身長が低いのがコンプレックスだとか、男の人にだって窮屈さは絶対にある。社会には男と女が半分半分なんだから、男が作った女の美の基準があるなら、女が作った男の美の基準だって絶対あるはず。

だから、フェミニズムは女性だけの運動じゃないと思う。みんなで性別や固定観念から自由になる時代が来た。男も女も性的少数者もみんな自分が幸せになるための方法を誰かに教えられるんじゃなくて自分で考えて実践する時代になった。もちろん誰かに迷惑をかけるような行動は絶対にいけない。個々が尊重される時代だからこそ、個々の別の個々のための配慮がより一層求められているからだ。

というわけで突然話を元に戻すと、CLCの新曲は私が思う脱コルセットを代弁してくれるような歌詞でとても共感できてかっこよかったって話です。

不完全燃焼というのがいちばん死にたくなる落ち方

どうやら大学院受験に失敗しました。受かるかわかんないけどとりあえず受けてみたら受かるかもしれないし受かったら超ラッキーとか思って、あと指導教員の先生の口車にのせられた感じで受けた。

でもいくら失敗したといっても他にどこも受けてなくて就活もしてなくて詰んだわけじゃなくて、ちゃんと押さえはあるので…そこまで…死にたくなるほどショックってわけではないんだけれども…

でもなんだろう、めっちゃ死にたい笑

参考までに私が受けたのは国公立の大学院の社会学系の研究科で、押さえにしてるのは私立大学の大学院。もちろん国公立の方が学歴的には派手に残るしいろんな分野の先生から指導がもらえるってことと、あと学費が安いっていうことで、家計に迷惑かけたくない私としてはできれば国公立に入りたかった。私立の方は私が研究したい分野の第一人者の先生がいるってことで受けて、学費は高いけれどもより専門的に、少人数の環境で学べるっていう点に魅力を感じて受けました。

受験科目は全員共通の英語と、選択外国語2つ(中国語と英語)、専門科目。過去問は解いてたけど、正直出題の守備範囲が広すぎて参考書読むとかそういうレベルの問題じゃなかった。理系大学院はまた事情が違うのかもしれないけど、ほぼ地頭勝負って感じで、試験会場でも特に参考書見たり英単語覚えたりしてるような人はいなくて、ああみんな考えること同じなんだなって思いました。もう対処しようがない出題範囲。ほぼ手ぶらで行きました。

試験はじまって早々、携帯電話が壊れてて振動が止まらない人、電源が切れない人、回答用紙の記入の仕方を間違える人が続出で、「いや紙に書いてあるじゃん…書かれた通りにできないんかこの人らは」とか思ってましたが、ほんとに書かれた通りにできないのは己だった。

英語と選択外国語はまあまあの出来で(中国語はほぼ完璧な訳だったと思う)、もしかしたらこれは受かってしまうかもしれないと思ったものの、最後の専門科目で論述が二問あるのに気づかず、一問だけ回答したあと、試験用紙を集められるときに二問目があったことに気がついた。最低でも50点しかとれない。英語で足切り免れてたとしても、専門科目が半分白紙って、私が採点だったら受験生の人間性疑いますね。

受からなくてもやるだけのことはやって玉砕しようとか思ってたんですけど、まさか二問目があるのに気づかないとか、そういう根本的なミスで人生変わったかもしれないチャンスを逃してしまいました。

今半径500メートル以内で私が一番不幸な人間だと思う。受からなかったことがじゃなくて、こういう詰めの甘い人間なのを知りつつ、学習がないという点で!!受験終わったら絶対タピオカ飲んでやるって決めてたからタピオカ飲んでるけど…ショックのあまり無心に飲んで若干気持ち悪くなってるけど…

正直気持ち的には受験の前から完全に私大の方に傾いてて、あんまり学歴コンプとかもないし、自分が今いちばんやりたいことを研究するのにどこがいちばん適した場所かって考えたら、私大の方が向いてるから、さっさと国公立落ちて家探しをしたいと思ってた。

でも!完全燃焼して落ちるのと凡ミスで落ちるのじゃ訳が違う!私が今言いたいのは受かる受からないじゃなくて落ち方に問題があったってこと!

ただ国公立ね〜…私のくだらないミスのせいで家族に経済的な迷惑を多大にかけてしまうってことが一番悔やまれる。入れたとしても私の頭じゃ修論書けなくて修了できなかった可能性もなくはないけど…でも悔やまれる。応援してくれた人にも申し訳なさすぎるし恥ずかしすぎる。死んでお詫びがしたいです。

そしてごめん、雰囲気突然ホラーになります。要するに落ちた言い訳をします。

昨日の夜、早起きしなきゃいけないから早く寝ようと思って珍しく12時に寝たんだけど、9.11みたいな、実家の後ろになぜかビルがあって、そこに大韓航空の飛行機みたいな真っ青の飛行機が突っ込んでビルがぐしゃぐしゃになる夢見て、びっくりして起きたら真っ暗な部屋の中でなんか黒いものが私に向かって手振ってたんですよ。瞬きしたら消えたけど、まだ一時だったからもう一回寝ようとしたけど怖くて全然眠れなくて、結局YouTubeで動画を再生しながら寝ました。前にも同じような夢見て留学の選考に落ちたことあったからこれなんかやばいなと思ってはいた。

あとで調べたらビルが倒れるのは自分の持っている今の目標が高望みであること、上手くいかないことを暗示していて、飛行機が突っ込んでくるのはプレッシャーを感じていたり準備が整っていないのに時間ばかり過ぎていくことに対する不安を表すらしいです。笑えるくらい当たってる。黒いものはなんだったのかわかんないけど…YouTubeで心霊番組見すぎたのかな。

 

後悔ばっかり書いてても私がすっきりするだけなのでこれから大学院を受けたい人向けにちょっとしたアドバイス

よく就活したくなくて大学院受ける人がいるけれども、理系と違って文系の大学院はちゃんとした目的がないと出てもね…みたいなとこあるし、私みたいに年明けの1月に試験がある研究科もあるので、遅くても夏前には終わる就活と、最悪卒業ギリギリまで受験生しながら進路未定なのと、どっちが自分にとってきついかよく天秤にかけてください。あと大学院で何やりたいのか、明確な目的がないとほんと正直、まじ、リアルに、受験がきついと思うしたぶんふつうに落ちる。私は就活しなかったクチなので就活の辛さはよくわからないけど、10月に周りがスーツ着て内定式に行ってる時に受験するのかなり精神的につらかった。大学院でやりたいと思うものがあったから耐えたけど。大学受験は団体戦みたいな言葉があるけど、院の受験は一緒に頑張る友達もいないし、孤軍奮闘孤独との戦いです。周りと違う方向に進むって意外ときついっていうのがわかった。友達の中には目指してるものが違っても周りに流されず頑張ってる子もいたから救いになったけど、大学のなかにポツリ残される気分は無人島に一人って感じだった。就活は短期間の苦しみ、大学院受験は1年間通して何かに追われる苦しみです。

人生三度目の受験生しながら、毎日夢見は悪いしもし大学院一個も受からなかったら人生ダメになると思うと正直死んだ方がましな感じだった。まあその時は受験のことしか考えられないから、そうなるのも無理はないんだけど。たぶん死にたくなったってことはそれだけ自分を追い込んでたってことだと思う。そんだけ勉強してたって意味ではなく、勉強したいのに上手く勉強がはかどらないことへの憤りみたいなのがずっと続いてて、それに追い込まれてなおさら勉強に手が出なかった感じ。もっとやってたらなって思うけど、自分の体調的にはむしろ9時から5時まで座って試験を受けることによく耐えたなってレベルなので、よくここまで来たとは言ってあげたい。自分に。正直試験後半はずっと首つってた。アンメルツヨコヨコ欲しかった。

 

最後に。就活してなくてゼミで後輩から全然頼られなくて寂しいのでもし文系の院試受ける人いたらなんでも聞いてください。答えられる範囲で答えます。

 

 

気分一新ということで

身内公開用にかなり記事を消しました。気分も一新したいなと思って…

自己紹介をしてなかったと気づいたので自己紹介とブログ書き始めた目的を書こうと思います。ほら自己紹介と研究分野と研究計画ってどこに行っても聞かれるし、それと同じノリです(面接と研究会がかなりトラウマになっている模様)。

あとふつうの友達にも普段何してるかわかんないとか言われるのね、私結構正直に考えてることベラベラ喋りまくるタイプだけどどうしてだろう?興味があれば見てください。私こういう人間で(した)す。

 

ステータス。学生。(留学を挟んだ学部5年生から大学院生になるところです)

特技。文系なので武器が外国語しかありません。英語そこそこ、中国語と韓国語は日常会話程度、日本語はネイティブです。あと擬態能力があるのか馴染みがいいです。新しい服とか、新しい化粧品とか、あと遠くの外国でも。新しいものに対して常に馴れ馴れしいです。

好きなもの。綺麗なものに目がない。綺麗ってのは私の考える綺麗だけど。だからアイドルとか、化粧品とか、映画とか音楽とか。綺麗なものを常に探してます。

夢。院終わったら出版社に入りたい。できれば外国のファッション誌がいい。ファッションじゃなくても、とにもかくにも本に関わる仕事がしたい。

今年の目標。適当に、肩の力を抜いて生きる。

 

ブログ始めたのは実は2015年1月1日で、映画とかアイドルとかアンチ脱毛とかの話をダラダラ書きながら気づいたら4年経ってたんですね。でもここにきて記事をリセットして新しく始めようと思ったのは、今までの自分が考えてきたものを一回捨ててみようと思ったから。これはこういうものって考えてたその自分特有の思考のくせみたいなのを一回取り除いてもうちょっとシンプルに生きてみようかなって。でもブログ自体を辞めなかったのは自分が今の時点で感じたこととか考えたことをメモしておきたいと思ったからで、それなら日記書けばいいじゃんって話なんだけど、私現代っ子だから誰かに見られてないとほんと適当なこと書いちゃいそうだし、まず続かなそうなんですよね。それで他人を巻き込んでブログで日記を書くわけです!大学生とか大学院生とか留学生って一体どんな感じで日々過ごしてんだろって気になってる人にとっては私がサンプルになります!参考にしてください!って思ってます。

 

一回一回の記事で書きたいテーマはその時自分が気になってることなので、ある日はビューティーユーチューバーっぽくなるかもだし、ある日はふつうの学生っぽくなるかもだし、ある日は似非評論家みたいになるかもだし、ある日はただのアイドルオタクかもしれないけど、までもそういう支離滅裂さって誰にでもあるよね、ってことで許してもらいたいです。これからやれる時に書きます。以上。

Always私の推しスネイプ先生

After all this time?

--Always. 

秋も深まり読書の季節ですね?私はKindleに登録してハリーポッターライフを楽しんでいます。もはやハリーポッター読むためだけにKindleに登録したと言っても過言ではありません。私の幼少時代を共にした永遠の名作、ハリーポッターシリーズの中の、私の永遠の推し、セブルス・スネイプ先生をご紹介いたします。

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ハリーポッター読んだことない人にとっては少しわかりにくい記事になる…かもしれないのですがご心配なさらず。この記事を読み終わる頃にあなたはスネイプ先生の虜になってハリーポッターを借りに図書館に走るか文庫本バージョンを買いにブックオフに走っていることでしょう!

 

私は自他共に認めるハリポタオタクとして人生の半分を過ごしてきました。新巻の発売も映画の公開も全部リアルタイムで追ってた筋金入で、お気に入りキャラクターはスネイプ先生です。にわかではありません。スネイプ先生の正体が明かされる7巻の発売前から大ファンでした。

賢者の石でハリーが初めてスネイプ先生と目を合わせた瞬間に額の傷が痛んでから、スネイプ先生ってもしかしてヴォルデモートの方の人…?とか思ってたんですが、映画版アズカバンの囚人で狼に変身したルーピン先生からハリー、ロン、ハーマイオニーを身を呈して守ったあの瞬間から私はやっぱこの人はダンブルドア側の人なんじゃん…!と確信。散々ハリーのこといたぶって楽しんでたくせにいざという時魔法の杖を使わずに体張って守ってくれるなんてツンデレか。(ツンデレって死語ですか?)

 

 

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実はこのシーンはスネイプ先生役のアラン・リックマンがアドリブで入れたシーンなんだとか…アラン・リックマンといえば賢者の石を撮ってる時から作者のJ.K.ローリングに「スネイプ先生は実はいい奴だから、そのつもりで演じてくれ」って言われて世界でたった一人ハリーポッターシリーズの最重要ポイントを知る俳優として撮影に参加した人。そのせいか監督とスネイプ先生の演技について「そんなことスネイプはしない」みたいな意見の対立があったみたいです。

原作にこうして3人を守るシーンがなかったとしても、スネイプ先生のこの咄嗟の行動を表現するワンシーンがこうしてひとつはさまるだけで、ダンブルドアを殺したスネイプ先生は実はまだヴォルデモートに忠誠を誓ってるのでは…?いやでもアズガバンで3人のこと守ってくれたし…一体どっち側の人なの!?とやきもきさせ楽しませてくれました。アラン・リックマン天才すぎる…何も知らなかった監督はあとあと物語の結末知って「あの時の演技はここに繋がってたのか!!」ってならなかったんですかね。私アラン・リックマンが好きなのかスネイプ先生が好きなのか正直わからないんですけど、どっちも同じくらい好きです。亡くなってしまったことがいまだに信じられません。世界は最も尊い俳優のうち一人を永遠に失ってしまいました。

 

 

スネイプ先生の38年の生涯を振り返ってみる

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スネイプ先生はスピナーズエンドという荒れ果てた袋小路でマグルの父トビアス・スネイプと純血の魔女のアイリーン・プリンスのもとにお生まれになります。スネイプという姓はマグルの姓なんですね(あのスネイプ先生がマグルの父親の姓を名乗っているところにも本人は意図せずだろうけどなんかいい、よくわからないけどいい)。のちのちマグルの姓を嫌ってか、母の姓をとって自らを「半純血のプリンス」と自称したりもします。

名前といえば、Severus Snapeは「エバンズの騎士」のアナグラムだそうです。ディテールが泣かせる。

両親仲は悪く、決して幸せとは言えない幼少期を送っていたスネイプ先生は、9歳10歳頃に近所に住んでいたリリー・エバンズに恋に落ち、マグル生まれのリリーに魔法界のことをあれこれ教えてあげながら仲良くなります。

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二人とも11歳の頃ホグワーツに入学しますが、リリーはグリフィンドールに、スネイプ先生はスリザリンに組み分けされ、二人の仲はどんどん離れていくことに。しかもスネイプ先生はその頃から闇の魔術に傾倒していたため、同じスリザリン寮生の間でも除け者にされてしまいます。

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加えて、同学年のジェームズ・ポッター、シリウス・ブラックにこてんぱんにいじめられ、ふくろう試験が終わった後にジェームズに逆さ吊りにされた屈辱でリリーを「穢れた血」と罵ってしまったことが原因でリリーとは完全に絶交。リリーは7年生になってからジェームズと付き合い始めます。スネイプ先生はリリーの心を取り戻すためにどんどん闇の魔術に傾倒していき、ヴォルデモートの一味となるのです……

ですが、そんなスネイプ先生に転機が訪れます。トレローニーがダンブルドアに与えたハリーとヴォルデモートに関する予言を盗み聞きし、その内容の一部をヴォルデモートに伝えてしまったのです。ヴォルデモートがリリーとジェームズの間に生まれたハリーを狙っていると気づいてから、ダンブルドアに寝返ったスネイプ先生は不死鳥の騎士団と死喰い人の二重スパイになります。リリーを救えなかったことを悔やむあまり死にたいと訴えるスネイプ先生でしたが、リリーのためにも生きてハリーを守れとダンブルドアに諭され、ホグワーツの教職につくことになります。

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リリーを死に導いてしまったことへの死ぬほどの後悔から、スネイプ先生は二重スパイとしての危険な任務に身を置く決心をしました。

 

11歳でホグワーツに入学してきたハリーがジェームズにそっくりだったためなにかとハリーに意地悪するスネイプ先生ですが、ヴォルデモート復活後からは二重スパイの役目を本格的に遂行。結果的にヴォルデモート失脚に繋がります。死の秘宝ではヴォルデモートの権力下でホグワーツの校長に就任しますが、校長室でダンブルドア肖像画から指示を受けながらホグワーツの生徒を守り抜きました。結局、スネイプ先生はヴォルデモートからニワトコの杖の所持者と勘違いされて殺されますが、その際ハリーに重要な記憶を手渡し、リリーそっくりなハリーの目に看取られながら亡くなります(泣いた)。

 

スネイプ先生死に際のセリフが原作と映画と違うんですが、どっちも味わい深いのです。

原作では「Look..at..me..」

映画版では「You have your mother's eyes」

原作のセリフではリリーと絶交してしまいリリーの心を取り戻すために死喰い人になった過去を考えると、どうしても振り向いてほしかったという切ないスネイプ先生の恋心が(書きながら泣きそうです)表れてると思えるし、映画版のセリフだと、魔法界に入った時から周りの大人に「ジェームズにそっくりだが、目だけが違う。リリーの目だ」と言われ続けて若干嫌気がさしていたハリーにとって、スネイプ先生の言う「母と同じ目をしている」って言葉は、言われ慣れてきた言葉であってもまったく違う重みを持って聞こえたはず。ハリーを大事にしてきた人々(シリウスダンブルドア)がたびたび重要なシーンで口にしてきた言葉でもあると考えると、スネイプ先生も同じようにハリーを大事に思っていたってことなんじゃないかなと思ったり。しかもこれが「You have Lily's eyes」じゃないとこがいい。母と同じ目だ、と言うことでスネイプ先生の意識はリリーじゃなくて結局ハリーに集中してるってことですよね?

どちらにしろ、物語のあちこちにちりばめられた、「ハリーはジェームズそっくりだが目はリリーの目」っていうキーセンテンスがここに結びついているのです。ジェームズそっくりすぎてハリーを嫌っていたスネイプ先生が、原作にしろ映画にしろハリーの目に看取られながら亡くなった時のセリフがどちらも深い。(余談なのですが翻訳版で「Look..at..me..」が「僕を見て…」という訳になっているのは多様な一人称や役割語を持つ日本語ならではの名訳かと思いきや、スネイプ先生の一人称を翻訳者が「我輩」と訳したので、さすがにこのシーンでは「我輩を見て」とは訳せず「僕を見て」になっただけなのではないかという憶測もあるそうです。私は名訳だと思いましたが、確かに90年代の話で一人称が我輩って、スネイプ先生どこの時代からタイムスリップしちゃったんでしょうか。小さい頃から慣れ親しんだ小説の翻訳に実は誤訳が多かった、という経験は個人的には「いつも本が(特に翻訳本が)正しいわけではない」という教訓を与えてくれました。後学のために参考になりました)

 

スネイプ先生は寂しい幼少期というバックグラウンドがありましたが、闇の魔術に傾倒し、死喰い人としてヴォルデモートの配下として働いていました。半純血という自らの出自のコンプレックスを克服するために自分でニックネームをつけたという点ではヴォルデモートと共通するところがあります。ただし、愛することを知らず、死を何よりも恐ろしいものと考えるヴォルデモートとは異なり、スネイプ先生は愛することを知っており、愛するもののためには死をも厭わない人間だったから、最終的にヴォルデモートへの忠誠を捨て、「愛」という力の価値を認めるダンブルドアの側についたのでした。ハリポタシリーズの大きなテーマは愛と死。死を恐れるあまり魂を引き裂いたヴォルデモート対、自己犠牲の愛によってハリーを守ったリリーや、リリー、ハリー母子のように愛のために命を捧げられる人たちという構造になっているのですが、スネイプ先生もまたヴォルデモートの持っていない「人を愛する力」を持った人でした。

 

J.K.ローリングによれば、スネイプ先生はどこまでもグレーな人。愛する人の息子を守り、魔法界の平和のために命を捧げたと言えば聞こえはいいのですが、たしかにハリーがホグワーツ在籍中は理不尽にグリフィンドールから減点したり、執拗にいじめたり、ジェームズそっくりの外見から先入観で「傲慢で目立ちたがりだ」と決めつけてかかります。遡れば、ヴォルデモートがポッター家を狙っていると気づいた時、ヴォルデモートに「ジェームズと息子はどうなってもいいからリリーだけは助けてくれ」と懇願したりもして、ダンブルドアからは「見下げ果てた奴」と軽蔑されたこともありました。幼少期に魔女であるリリーに近づいたことで魔法力を持たないペチュニアとの姉妹仲を引き裂く原因にもなり、ハリーがダーズリー家で冷遇されたのはそんなリリーとペチュニアの姉妹仲のせいだと考えるとハリーのかわいそうな幼少期もスネイプ先生の蒔いた種では…とも思えますよね。

スネイプ先生の最後の大どんでん返しだけを見て、スネイプ先生を聖人のように扱うことはできません。

かといって完全に真っ黒な人間でもない。自分のことをいじめていた憎い男の息子でも、結局必要な時にはハリーを守ってくれるし、本来は味方である不死鳥の騎士団から裏切り者として追われながらも最後まで二重スパイとして孤独に戦っていたのは事実。スネイプ先生は正体がわかってもなお考えさせられるところが多い人です。私はそんなグレーなスネイプ先生が好きで、ハリポタのなかでもいちばん人間臭いキャラクターであるスネイプ先生には熱烈なファンが多いです。

 

映画版のスネイプ先生を振り返る

原作のスネイプ先生よりアラン・リックマンのスネイプ先生の方がユーモアがあってもう少し柔らかめというか、実は性格いいんじゃないの?と感じさせるところが端々ににじみ出てるのですが、原作のスネイプ先生は途中までマジで嫌な奴です。セリフのニュアンスは翻訳の問題かと思われる点もありますが、実際やってることは弱いものいじめに違いありません。映画のスネイプ先生が原作通りだったら(アズカバンのスネイプオタ伝説のシーンでまだ気絶して宙吊りだったりしたら)私はここまで好きじゃなかった。絶対に。キャスティングが最高すぎたんですよ。スネイプ先生をやるにはアラン・リックマンはセクシーすぎたんですよ…スネイプ先生はこんなにセクシーじゃいけなかったんすよ…最高だけど…

 

ということで、ここからは私が映画版スネイプ先生の好きなところを列挙します。

 

①冷酷でいつも仏頂面なスネイプ先生から漂うかすかなユーモア

Funny Scene with Harry, Ron and Snape - YouTube

炎のゴブレットでのダンスパーティーのパートナー探しで勉強どころでないハリー、ロンと自主学習(?)の監督をしているスネイプ先生の名シーン。ハリー、ロンと同じように無駄話してるのに引っかからない巧みなフレッド、後ろからスネイプ先生が迫っているのにまったく気づかないロン、警告しようとするハリー、女の子のハーマイオニーは叩かないスネイプ先生、でも特に喋ってなかったハリーはついでにひっぱたいちゃうスネイプ先生。各キャラの性格が際立つシーン。双子の隣で様子を見ながらニヤニヤしてるネビルも細かいけど名演技でした。映画館でも爆発的にウケてたシーンだったと記憶してます。こんなアドリブっぽいシーンで観衆を笑わせてくれるスネイプ先生を演じたアランが最高です…

 

Harry Potter and the Half-Blood Prince - Lavender v.s. Hermione hospital scene (HD) - YouTube

スラグホーン先生に惚れ薬の解毒剤をもらいに行ったら毒に当たってしまったロンと、ハーマイオニー、ロンのガールフレンドのラベンダーのシーンです。問題のお酒を調べたあと、当然のようにスネイプ先生に瓶を渡すダンブルドア先生ナイス。魔法薬の教授としてのスネイプ先生を完璧に信頼しているダンブルドア先生。すぐに瓶の中身のにおいを嗅ぐスネイプ先生の機敏な動きもナイス…

ロンを巡って対立するハーマイオニーとラベンダーの攻防を後ろで「なぜ私はこんな場面を見せられなきゃならんのだ」と言わんばかりの無表情で、しかし目をそらさず瞬き一つせず見つめているスネイプ先生めっちゃ面白くないですか。ラブコメとは一切関わりなさそうなスネイプ先生が居合わせてしまったのも面白いし、見つめていたくせに誰よりも先に医務室を去ろうとダンブルドアより先に立ってスタスタ歩いていっちゃうのも面白いし…

 

②呪文の唱え方と杖の扱い方が優雅

Harry Potter - Severus Snape's Magic - YouTube

ひたすらスネイプ先生の魔法が見られる至福の5分間!!!呪文を唱えたあと杖を振るまでの微妙な間の取り方といい、杖の振り方といい、長いマントのせいなのかほんとに優雅で上品じゃないですか。一つ一つの呪文に関して語っているときりがないのですが、のちのちハリーの十八番になり、ヴォルデモートすらも退けた武装解除の呪文は決闘クラブでスネイプ先生が最初にお披露目。決闘のキホンのキから教えてくださるなんて教え方をわかってらっしゃる…さすが先生です。

ハリーに忍びの地図をポケットから出させて「What's this」って聞いといてハリーの答えに食い気味の「Really? Open it」の間の取り方もなんかさりげなく面白い。ここは魔法とは関係ないですが…

マグゴナガル先生との決闘シーンは言わずと知れた名シーンですが、マクゴナガル先生が杖を突きつけてきた時一瞬決闘をためらうスネイプ先生の表情に、二重スパイとしての孤独が表れてて泣きました。心ここにあらずのままなのにマクゴナガル先生の呪いを跳ね返す杖の扱い方も素晴らしいし、逃げる前に後ろのカロー兄妹に呪いを当てて彼らの杖を拾ってから飛び去ったのはこれ以上生徒に危害が及ばないようにするため、反撃しなかったのは味方であるマクゴナガル先生を傷つけたくなかったからでした。

この動画に賢者の石でのハリーを守ろうとクィレルの呪いに反対呪文で対抗するスネイプ先生のシーンがないところが残念なのですが、ローリングによると本当に強い魔法使いは杖がなくても魔法が使えて箒がなくても空を飛べる。賢者の石のスネイプ先生は呪文を唱えるだけでハリーを守っていたし、ホグワーツから逃げ去る時には空を飛んでいます。スネイプ先生がいかに強力な魔法使いであるか…素敵…まだ30代の設定なのに…

 

③静と動のコントラストで緊張感を与えるスネイプ先生

Harry Potter and Severus Snape frist meet - YouTube

はじめての魔法薬の授業。ドアを開けっぱなしにしたまま荒々しく教室に入ってきたあと、突然のスローダウンと落ち着いた声色の対比が緊張感を与えます。笑わせてばっかじゃないスネイプ先生(もともとそんなキャラじゃないですが)。

この時ハリーに問いかけた問題を花言葉で解釈すると「私はリリーの死を心から後悔している」となるそうです。スネイプ先生がハリーにかけた最初の言葉は、ハリーの母の死に対する後悔の吐露でした。花言葉を使うなんてスネイプ先生粋です!!!

Prisoner of Azkaban - Page 394, Severus Snape (HQ) - YouTube

満月で不在のルーピン先生の代わりに授業をもつことになったスネイプ先生。今度はちゃんとドアを閉めて入ってきます。窓を全部閉めてプロジェクターを下ろしてから振り向くところ、ノロノロページをめくっているロンの教科書に杖を振って394ページを開かせるところが常にローラーコースターじゃないですか。静と動のコントラストってホラー映画の公式ですよね。授業の展開がホラーなスネイプ先生でした。ちなみにスネイプ先生信者の間で伝説になってしまったPage 394、百の位と十の位にandを挟むのはイギリス式英語なんだとか。イギリス英語といえばスネイプ先生の(というかアラン・リックマンの)ねちねちした英語は子音がよく聞こえてイギリス英語っぽくて好きです。「歌うような」とは形容できないのでなんとなくお経みたいな抑揚だなと勝手に思ってるのですが、アラン・リックマンは他の役でも同じような調子でした。

 

話がいろいろ脱線したのでついでにもうすこし脱線させてもらうと、ハリポタシリーズ7巻の最後の戦いの場面が魔法省でもヴォルデモートの秘密基地でもなく半人前の魔法使いや魔女がいる学校、ホグワーツだったことがとても印象深いというか、メッセージ性を感じます。7巻が出た当初は私はまだ中学生だだったので、ほかに魔法使いが呪いをとばして殺し合えるような空間がなかったから最終決戦の舞台がホグワーツになったんだと勝手に想像し、学校という場所に特に注目はしませんでした。

ハリーは最後のホークラックスホグワーツにあると確信して学校に戻りますが、そこにはハリーが五年生の時に発足させた「ダンブルドア軍団」の仲間たちがネビルの指示のもとで反スネイプ運動を展開していました。ハリーがホグワーツに戻ってきたことでヴォルデモートとの最終決戦が始まり、先生たちは未成年の生徒は避難させますが、17歳以上で戦いたい意思のある者は残ってよろしいと許可します。

半人前の魔法使いや魔女だけの学校が、恐ろしい権力に対抗する最後の砦となったのです。ここで思い出したいのは、ホグワーツの先生たちが「professor 」と呼ばれている点と、魔法界にはホグワーツ以上の高等教育機関はないという点。11歳から17歳までの子供達が在籍するホグワーツは魔法界においての最高学府なのです。ホグワーツは教授陣の研究の場であり、初等教育から高度な専門教育までを幅広く施す場でもあり、マグルの世界の大学と同じ役割を担っていることに気づけます。将来の就職を左右するふくろう試験をセンター試験のようなものだと考えると、6年生以上は大学生のようなものなのかもしれません。

大学という場は、教育機関でもありながら横暴な政権や独裁に対して反旗を翻してきた歴史があります。ヴォルデモートの掲げる純血主義を民族至上主義の極右的な思想であるとすると、最後のホグワーツでの決戦は現実の世界での大学の役割を投影したものなのかもしれません(ヴォルデモートのモデルはヒトラーでした)。たとえ半人前であっても、高度な専門知識と魔力を備えた教授たちの下で、生徒たちは自らの能力を発揮し、世の中のため、または自分たちの信条だったり志だったりのために戦うことができる、そういう場がホグワーツだったのです(ここで魔法省がいとも簡単にヴォルデモートの手中に落ちていったことを思い出す必要があります。最後まで学校と生徒を守り抜いたスネイプ先生の功もあってホグワーツは生き残りますがこういう時政府というものは成人した魔法使いがごっそりいるにもかかわらず本当に役に立たないものです)。

ハリポタのいいところは、何度読み直しても自分の成長段階に応じてどんどん新しい側面が見えてくるところです。

私は元々スネイプ先生ファンでしたが、最近改めてスネイプ先生の過去を読み直して中学生や高校生だった頃よりはるかに深く彼の人間性を考察できるようになりました。出演時60歳代かそこらだったアラン・リックマンの渋さに突然crushしてしまったのももしかしたら自分の年齢が上がってきたせい…かも…いやたぶん小学生ですでにスネイプ先生役の人好きってなってたんで趣味の問題かもしれません。

 

レスリー・チャンにしてもアラン・リックマンにしても好きな俳優がすでに亡くなった人というのは辛いものです。その人の最新作がもう永遠にないという。アラン・リックマンは2016年に50年連れ添った本議員のガールフレンドと結婚したみたいです。二人だけでニューヨークで式を挙げた後、ブルックリン橋を渡ってランチしたんだとか…婚約指輪は2万円代だったんだとか…アランと恋人の話は結婚の意味とか結婚指輪にいくらかけるとか男は女を守んなきゃいけないとかそういう社会一般的に言われてるものを改めて問い直す機会をくれました。ハリー役のダニエル・ラドクリフとは(途中までは)敵役でしたがダニエルの舞台を見に行ったり俳優として目をかけていたみたいです(泣いた)。本当に素敵な人です。

 

さて話の帰着点がわからなくなってきたところですがもう1万字書きかけてます。これ以上書いたら卒業論文になってしまうのでここらへんで彼の印象的な言葉と共におしまいにします。

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Every year...for seven weeks, I would wear black contact lenses, finding an old friend again and part of myself.

When I'm 80 years old sitting on my rocking chair, I'll be reading Harry Potter

And my family will say to me 'After all this time?' 

And I will say. 'Always'