下雨的日。

台湾の雨が恋しい私の身の回りで起きていること。

なぜ大学院で香港研究なのか

そろそろ大学の卒業も近づいてきて、毎度毎度学校を卒業する時に感じることですが変な感じです。今までいたところを旅立つっていうのは。

春から大学院生ということで、自分で気持ちを新たにするためにもなぜ大学院なのか、なぜ香港の民主主義研究なのかということについて一旦今の時点で区切りをつけてまとめてみようと思います。

 

専門とする研究分野を簡潔に説明する

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ビクトリアピークから眺める香港島の夜景(2016. 8. 6撮影)

 

私の研究分野(というのもおこがましいけど)は香港の民主主義運動です。ドーンとでかいテーマではあるんですが、卒論では特に1980年代香港の民主化運動を中心に調査をしました。1980年代の香港というと、イギリスが租借していた香港の土地の期限切れ(1997年)が近づき、イギリス対中国による香港返還交渉がはじまり、紆余曲折を経ながら香港のミニ憲法とも呼ばれる基本法だったり返還後の統治のかたちだったりがまとまってきたところで、中国大陸で天安門事件が発生し、これに反応して香港でも未曾有の規模でデモが行われるという、まさにカオスです。天安門事件は中国の民主化を夢見る若者たちが香港の人々、そして台湾の人々も巻き込んで、北京政府に対して対話と民主化を要求し、結果たくさんの犠牲者を出してしまった事件ですが、この時に香港は「中国の民主化を精神的にも物質的にも支援する基地」としての役割を果たしました。そのため北京政府から香港は反北京政府的な勢力の基地となる恐れがあるとみなされ、香港での有事の際には北京政府が介入するという内容の法律が基本法に組み込まれたりもしました。私は香港という地を通して、香港の民主化運動が国際的にどのような影響力を持っているのか、そしてもっともっと根本的なところで、人々のアイデンティティナショナリズム、国家とは何なのかを考えたいと思っています。偉そうに言うと、香港というサンプルを使って、政治学おける普遍的な定義を再考する、みたいな感じです。

上手くいくのかどこまで解明できるのかはわかりませんが、とりあえず手を出してみたのでできるところまでやろうと思っています。

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船の上から香港島を眺める(2017. 6. 29撮影)

 

なぜ台湾留学だったのか

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台湾淡江大学教室(2017. 5. 25撮影)

台湾に留学してたのになぜ香港なのか、とはよく聞かれますが、台湾に留学する前から卒論は香港のことについて書こうと心に決めていました。にも関わらず台湾に留学した理由は、一番は語学の面を強化したかったということと、もう一つは2年の時に日本研究として台湾の日本統治期を学んだことで、台湾という地に関心をもったことがあります。そしてマイナスな理由も述べると、本当は中国に行きたかったのですが、台湾の大学は学費が免除されるというとで、台湾留学の方がお財布に優しかったというのがあります。そしてこれはほぼ後付けの理由なんですが、香港に関する一次史料は繁体字で書かれているので、同じ繁体字を使う台湾で中国語を勉強した方が圧倒的に研究が楽になります。これに関しては日本に帰ってきて香港の史料を見たらスイスイ読めるようになっていて、その時はじめて台湾に行って良かったと実感したので特にはじめから狙っていたわけではないんですが、大学院の関係者の方になぜ台湾に留学したのかと聞かれた時には用意周到なふりをするために「実は繁体字が読めなかったんで台湾で目を鍛えてきたんです」と言っています。だいたい50%は真実なので嘘には入らないと思ってます。そういうわけで台湾に1年行ってきました。

 

どうしてもやりたかった中国研究

研究分野の選定に関してはちょっと反骨精神的なところがありました。私が大学に進学したてのころは、日中関係が冷え切り、テレビでも身の回りでも、中国を敵対視するような言説で溢れかえっているような時期でした。私は別に中国に知り合いがいたわけでも、中国人の知り合いがいたわけでもありません。ただ、メディアで言われていること、周りの人が言っていることは本当なのか、本当に中国に対してその認識でいいのか、気になると同時に不安に思いました。どちらか一方の話しか聞こうとしないという態度は人間関係でもこういう国と国みたいなどでかい話になってもよりよい結論を出そうとする上で大きな障害だと高校生の時になんとなく考えていたからです。もともと自分の目で確かめないと気が済まない「百聞不如一見」を第一主義にしている人間なので、中国に関しても自分で情報を集めて自分で話を聞いて来なきゃいかんと思いました。じゃあ中国語を徹底的にやって中国の勉強をしたらいいんじゃないか、と思いつきました。大学1年になるかならないかくらいの時にぼやっと考えていたことです。

日中関係が冷え切っていたせいか中国語を第二外国語として選択した学生が少なかったのはある意味では幸いでした。超少人数のクラスだったので、先生に一人一人発音のチェックをしてもらい、質問にはじっくり付き合ってもらい、本当に質の高い中国語の授業を受けることができました。

中国語を勉強していた、ということと、いちいち人と違うことがやりたい中二病的精神があったので、中国に対する悪いイメージが溢れかえるなかであえて中国を研究しようと思いました。ただ2年次に開講している東アジア関連のゼミが台湾か韓国かしかなかったので、台湾研究のゼミを選ぶことになり、そこから前述のとおりあれよあれよという間に台湾にいた感じです。

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ミスプリで車酔い運転が中国で行政処罰の対象になってしまった筆者作のレジュメ(2016. 7. 5撮影)

 

なぜ香港なのか

中国研究といっても広い国土に長い歴史に、研究できる範囲は広大です。そのなかでなぜ香港だったのか。香港が人生で初めて触れた「外国」だったからだろうと思います。

幼い頃に父が香港に出張に行き、私に香港のお土産をくれたことがありました。私が人生で初めてもらった外国のお土産が香港の摩天楼の写真がプリントされている小さいキーホルダーだったのですが、「香港」と文字が入っている写真を見ながら、香る港と書いて「ホンコン」なんて読み方するのか、不思議だな~とか思ってました。ここはどんな街でどんな人が住んでいるんだろうと好奇心を刺激されたことを今でもよく覚えています。

そして、偶然にも自分が大学に入って社会学を齧り始めたまさにその時に香港で「雨傘運動」が発生しました。日本では年々若い人の政治に対する関心が薄れているのに、香港では同じ世代が催涙弾に耐えながら民主化を訴えている、という事実があまりに衝撃的で、それ以降民主主義や西洋思想に関する授業をかなり受講しました。香港のことはずっと心のどこかに引っかかっていたのですが、たまたま香港に旅行に行く機会があり、一度香港の地を踏んだら、あっという間にその土地自体の虜になってしまいました。

地下鉄の駅を出て、初めてあの湿気と熱気に包まれて摩天楼を見上げた瞬間の感動が忘れられません。小さい頃写真で見ていた街がそっくりそのままそこにあったので、まるで映画のなかに迷い込んだような気分で超エキサイティングでした。街を歩きながら香港の大国際都市としての大きさを感じつつ、室外機からの水滴を頭に浴びながらそこにたしかに人々が生活していることを感じました。香港の人は東京の人とは違って、そこに住んでいる、そこで働いているのではなく、この地で生きているんだな~と思いました。小さい頃、小さな写真で眺めていた香港は、やはり期待していた通り、もしかしたらそれ以上に刺激的な街でした。研究するなら、好きな地域のことをやれば絶対楽しい、と思い、旅行から帰ってきた後に改めて香港のことを研究しようと心に決めました。実際は楽しいことだけじゃありませんが。

中国の一部だけれど、そこには中国と分離されて発展してきた歴史があり、中国大陸を追われた思想家のシェルターにもなった地。中国4千年の歴史と比べれば中国大陸と分離されていた時期ははるかに短いものですが、その短期間に国際金融都市として世界に踊り出し、独特の広東語大衆文化を花開かせ、そして独自の政府と憲法を持つ場所。正式な国ではないのに、まるで一つの国のように機能する香港という場所は、なにが国を国としているのかという疑問を投げかける地のように思えてなりません。

もともと国家やイデオロギーナショナリズムアイデンティティに関心があったので、香港という地を通してもう一度それらの要素について考えてみたい、ここを研究しなければならないと思いました。

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香港にはためく中国の五星紅旗とバウヒニアを描いた香港の区旗(2016. 8. 10撮影)

 

なぜ大学院なのか

大学院に進学した理由は一つにつきます。学部で学べると思ったことが学べなかったからです。正直1、2年で国際関係の基礎を学んで、3年から専門的な研究に入り、卒論のテーマを決め、4年で就活しながら卒論を書くという過程では、専門的な研究ができる時間が実質3年の前期くらいしかないわけです。知りたいことはたくさんあるのに、時間的な余裕がない。大学生活を終えてみてやっとわかったことですが、大学の授業って専門的にその分野を研究している研究者の人たちからしたら、イントロダクションのイントロダクションみたいなものなんだろうと思います。香港について研究したい、気になることが多すぎると思った時には知りたいことを知るのに時間が足りないことに気がつき、後先考えず大学院に行かなければいけないと思いました。特にものすごい理由があって大学院に行きたいわけじゃなく、今やりたいことを気の済むまでやってみなきゃいけないと思ったからです。勉強がよくできるわけでもないのですが、良くも悪くも一度手を出すと諦めが悪い性格なので、大学院に進学することにしました。きっと大学院を修了してどこかに就職しても、香港について考えるということは手放せないだろうなと思います。

今やりたいことがあるのに、それをやらずに卒業して就職したら後悔しそうだなと思ったから大学院に行くという、それだけの理由だったのですが、院試を準備していた期間は人生でいちばん辛かったです。将来の計画も何もなくただ今やりたいからやる、という動機だったのにやたらと「修了したあとの計画」を聞かれてずいぶん悩み、適当な嘘もだいぶつきました。卒論で手一杯なのに修了したあとの計画なんか今眼中にもないわって感じでした。今考えると常に目の前のことしかこなせない輪廻1周目かよって感じですね。魂の修行が圧倒的に足りてない感。大学院ではやりたいと思った時に物怖じせず自分で進めていく推進力があるということを他の誰でもない自分に実感させてやれるような、魂の修行をしたいです。

 

長くなりましたが私が香港研究を始めたきっかけと院進を希望した理由はこんな感じです。香港が好きというのと魂の修行がしたかったからですね。猪年なので猪突猛進型で単純なので深いことはあんまり考えてません。座右の銘は「意識の流れに従う」です。『海辺のカフカ』のナカタさんのように生きて、大島さんのような存在感を手に入れたいです。

院生生活も実りあるものになりますように。祈願。

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ふせんを挟んで読むくらい好きな私の人生のバイブル 村上春樹海辺のカフカ』(2019. 2. 20撮影)

 

 

昨日は雨傘運動後の香港社会に関するシンポジウムにお手伝いとして参加させてもらいました。まだ学部生なのに図々しいなあと気おくれはしてますがI'm suppose to be hereで図々しさは大事にしていきます。

明日からは上海です。

中国三昧な日々で学部生活を締めくくることができるのは本当に幸せなことです。